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奥の正法寺

このお寺に吉本興業の友近さんが行かれたようです。
本日、NHKで予告放送が流れてました。

↓この石段、めっちゃ急です。
 馬で駆け込もうとしても馬が反り返る程の
 急な石段にしてあるとのこと

↓日本一、いや世界一の藁葺屋根の建物

↓皆でお茶をいただく

↓文福茶釜(正法寺HPより)

 この茶釜は文化文政の時代に作られたもの。
 正法寺では六度も火災にあった寺ですが、
 火事の度にもう釜も 焼けてしまっただろうと、
 誰もが思い込んでいると、数日後には何処からともなくヒョッコリと現れるので、
 人々は驚くばかりであったそうな。

 またこんな可笑しな話もあります。
 昔、この茶釜はあちらこちら へと移動するので、
 太い鎖で本堂の隅につながれていました。
 ある時、寺が大火災となってしまいました。
 本堂は瞬く間に火の海となり、
 鎖でつながれていた釜は熱くて熱くて仕方ありません。
 逃げるに逃げられずに、あまりの熱さに釜の蓋だけが
 遠くに飛んでいったとのことです。

 どこまで飛んでいったかというと、群馬県にある茂林寺様まで飛んでいったとか。
 それ以来、正法寺の茶釜は蓋なしになってしまったそうな。
 その後、茶釜は落ち着いたようでどこかへ移動することもなくなり、
 鎖も外され、現在は宝物庫の中でちょこんと座布団の上に座っています。

 『文福茶釜』という名の由来は、度々の火災において難を逃れた知恵(文)と、
 どんなに大勢の茶会を開いても、釜の湯が切れることがなく、
 ふつふつと湯が湧き出てきたという(福)から、
 『文福茶釜』と名付けられたと言われています。

↓それを見入る永田さん

↓涅槃図(正法寺HPより)

 釈迦が80歳のとき、クシナガラの地で病に臥し、
 四方に2本ずつ植えられた沙羅双樹に囲まれた寝台の上で、
 北枕西面し右脇を下にして身を横たえ入滅する光景を描いたものです。

 周囲には嘆き悲しむ菩薩、弟子、天人、俗人のほか、
 像、獅子、虎、鳳凰、鶴、鶏などの 動物を描き、
 右上には釈迦の母「摩耶夫人」が飛来しています。

 この涅槃図は寝台の右側面が見える宋形式によるものですが、
 もともとは寝台の四面中央に置かれる双樹が、
 釈迦の姿を遮らない位置にずらして描かれています。

 2月15日の釈迦入滅の日に行われる涅槃会のときに開かれますが、
 現在は本堂東室中の間に常時掛けられています。

↓修行僧(もと船乗り)の方から、涅槃図の説明を受ける私たち。
 8本の木があって、4本は緑に生い茂り、残りの4本は枯れている。
 釈迦の母が天空から投げた薬は木に引っ掛かっていること。
 そこから「投薬」という言葉ができた経緯・・・。
 興味深い話を聞かせていただいた。

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