↓大津波にも耐えた一本松
↓手が付けられないままになっている老家屋
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私たちのこの後の行動は寺岡さんの指示に従って動く。
何をしたい、これがやりたいではなく、
言われるがままに粛々と行う。
ここはTeam王冠の地区リーダーの方のお店。
ここに物資を持ってこればそこから枝葉のように
配給が渡って行く。
私たちは地区リーダーの石垣さんを尋ねることになった。
行ったこともない場所への訪問。
私の車のナビに住所入力をしても旧式のナビなので
詳細な所まで表示してくれない。
こうなったら、五感ナビしかない。
ある程度のところまで行って、清掃会社の車に近寄る。
すぐ住宅地図を広げていただけ、場所の確認ができた。
皆、親切な人ばかりだ。
「Team王冠から来たボランティアの上野です」と名乗って石垣さんと会う。
石垣さんはこの地区の取りまとめ役を担ってみえる。
震災直後はこの地区の給食の準備まで行われていたそうだ。
早速、名簿順に歩いて物資を届ける。
雄太郎は名簿を持って石垣さんと一緒に歩く。
「あんたよく来たね。えらいね」って声が聞こえてくる。
石垣さんがご近所の方の家の前で「居てる~」って声をかける。
中から首にタオルをかけたご婦人が現れる。
頼んでいたガスコンロを見て「本当にガスコンロが届いたの!」・・・
「ありがたい、ありがたい」
私は岐阜から来たことを告げた上で、雄太郎が
「岐阜のキャベツです。みなさんで食べてください」
ガスコンロも喜ばれたが、岐阜の子どもから受け取ったキャベツは
石巻の人の心にきっちり刻まれたと思う。
次の訪問宅に向かう私たちを窓越しに眺め、いつまでも手を振るご婦人。
鳥肌がたった。
行くところ行くところで皆さんに喜んでいただけた。
「本当にありがとう」「ありがとうね」って。
留守宅もあったので石垣さんのお宅に
渡らなかった方のガスコンロを預かっていただいた。
石垣さんが「暑いから上がれ」って。家の中に通された。
そこには娘さんと娘さんのご友人
その間に小さな赤ちゃんが眠っていた。
この赤ちゃんは生まれて2週間。
仙台市内の病院で出産され、里帰りで石巻にみえているとのこと。
実家は津波で流され、ここは仮住まい。
震災直後の様子を話していただけた。
「とにかく食べ物がなかった。家族4人の一日分の食べ物が食パン1枚。
それはまだ良い方だよ。家族4人で一日豆4粒。ひとり豆一粒だったよ。
この地区は仕事があるから今日まで生きてこれた。
海側の人は根こそぎ持ったかれた。家も車もなにもかも・・・」
娘さんは仙台に住んでおり石巻のお母さんとしばらく連絡が取れなかった。
娘さんはお母さんが「もう死んだ」っと思ったと言ってみえた。
名簿を探し回ってお母さんと娘さんが再会できた時は涙が止まらなかったと。
その時の声はきっとおなかの中の赤ちゃんに聞こえていただろう。
生まれてきたこの命。
しっかりと守らなければ。
それが我々大人の責任。
(つづく)
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